「その時歴史は動いたのかも…中野城 補足編(中編)」
通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。
しかし、(諸説ありますが)浜野付近を足掛かりに酒井氏が東進し、最初の拠点となる土気城を手に入れ、そこを拡張整備したこと。その上で、東金市中部の田間城に北進し、のちにすぐ南の東金城に移り拡張整備して、東金酒井氏の拠点としたことなどから考えると、以下のような点で引っ掛かるのです。
浜野→(中野城)→土気城→田間城→東金城というルートを取った場合、特に浜野土気間は、西から東に綺麗な直線を描きます。そうすると、現・中野城だけが大きく北にずれてしまうのです。
東金街道より平均して5km近く南を並行して走る現在の県道20号(大網街道・旧土気往還)あるいは村田川流域を軸に東進していた酒井氏が、急に北に転進しなければならなかった理由が何かあったのでしょうか。
しかし、結局はまた南に大きくカーブして土気城を拠点にするわけですから。この蛇行を不自然に感じてしまう訳です。
また、現・中野城は前述の通り南を走る東金街道を抑えるという点では優れており、南側の防御は厚いように見受けられます。ただ、北側は台地続きであり防御が厚いとは思えません。
そのような城の作りから見ると、現・中野城は南方を指向して造られたということになるでしょう。しかし、後北条氏による西からの攻撃や、正木氏(一宮~勝浦方面)による南からの攻撃が激しくなるのは、東金城の拡張整備後の話です。
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