「その時歴史は動いたのかも…中野城 補足編(後篇)」
通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。
つまり、陸路大挙して押し寄せる後北条側勢力に備える城としては、その主な進路となる東金街道を抑え、東金城の西の入り口を守るように位置する現・中野城は有効な城になる訳ですね。
ですから、現・中野城が造られた、或いは拡張整備されたのは酒井氏が土気・東金に分かれ、それぞれの拠点で基盤を確立した後なのではないかと考えるのです。
それに、15世紀半ば以降は房総の雄・千葉氏も内紛に見舞われるなど、下総地域の政情は大変不安定であり、勢力の定まっていない弱小の酒井氏がその真っ只中に城を造るとなると、相当な危険を覚悟しなければならないでしょう。
だからこそ、比較的勢力が均衡していた上総國内を東進するルートを選択したのではないでしょうか。
では、浜野方面から土気城への進出の際に、足掛かりとした中野城はどこなのか? ということになる訳です。
そこで、前回の五大力船や舟運、西~北~東に睨みを利かせられる台地上にある現・市東城~光徳寺こと「なかんじょう」が初期の中野城ではないかと考える訳です。
しまった、前回から久しぶりの「その時歴史は動いたのかも」シリーズ復活に勢い余り過ぎて、またたくさん書いてしまいました。
下記の鳥瞰図は、「余湖くんのお城のページ」からご許可を頂き、転載させて頂いたものです。いつ見てもわくわくするサイトです。お城に興味のある方は、ぜひご覧くださいね。http://homepage3.nifty.com]yogokun/
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