「取り越し苦労をもって上と為す&その時歴史は動いたのかも(中編)」
通信制 一ッ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。
(つづき)
ところが、1942(昭和17)年4月18日、
ドゥーリットル中佐(当時)指揮の爆撃隊により初めて本土空襲が行われます。
その後の日本空襲でも使われた大型爆撃機B25を極限まで装備品を下して軽量化し、
飛行場からではなく、日本近海に近づいた空母から発艦させるという、
史上稀にみる奇策によるものでした。
皇居もある帝都に爆弾が降ってきたという衝撃は、
天皇陛下を現人神としていた当時では、
恐れ多いこと極まりない大失態として日本を揺さぶりました。
また、日本近海に近づいてきた米空母部隊を発見すらできなかったことで、
海軍はさらに囂囂たる非難を浴びます。
そこで、なし崩し的に決まってしまったのがミッドウェー攻略作戦でした。
ハワイのすぐ近くにあるミッドウェー島を占領すれば、そんな見落としもせずに済むし、
米海軍の動きも封じやすくなると見込んだのです。
そこで、主力空母をはじめ、
戦艦大和を主力とする戦艦部隊まで大投入して決行されることとなりました。
(つづく)
通信制一ツ葉高校 千葉キャンパス 宮本