「取り越し苦労をもって上と&その時歴史は動いたのかも(前篇)」
通信制 一ッ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。
みなさん、こんにちは。
さて、今回は「取り越し苦労をもって上と為す(先知の大切さのお話)」
の温故知新バージョンです。
つまり、歴史にヒントを得ながら「先知」の大切さを考えていこうというお話です。
今から68年前の6月初旬、ハワイ北西にあるミッドウェー島沖で、
日米による史上最大規模の空母対決が行われました。「ミッドウェー海戦」です。
みなさんご存知の通り、この戦いで日本は4隻の主力空母を失い、
以後終戦に至るまで日本は防戦を余儀なくされていきます。
この海戦については、以前に山口多聞という名将を中心に触れたことがありますが、
今回はもっと大局的に俯瞰してお話ししたいと思います。
そもそも、海軍の展望のなかでミッドウェー作戦は曖昧な状態のままおかれていました。
真珠湾を攻撃して米太平洋艦隊の動きを封じた後、
①南方(東南アジア)の資源地帯の確保に全力を挙げる
②インド洋方面で英国勢力の駆逐を行う
③太平洋での制海権掌握を図る
のいずれを中心とするかで揺らぎつづけていたのです。
そう、まさに先知(先見・予見)などとは程遠い状態にあったのです。
それというのも、幸か不幸か開戦直後からしばらくは、
そのどれも
①インドネシアの各油田地帯の確保
②インド洋海戦での英国艦隊に対する勝利
③グアム・ウェーク島などの占領等々
が良い状態に進んでいたからでもあります。
(つづく)
通信制一ツ葉高校 千葉キャンパス 宮本