「その時歴史は動いたのかも…線から面へ…1」
通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。
みなさん、こんにちは。さて、先日に引き続き市原市在住の古文書・郷土史研究家の山岸先生から酒井氏東進と中野城の推定についてヒントを頂いたお話です。
水運(水路)という「線」として村田川を考えて場合に起きる問題点は二つあります。
一つは、村田川には江戸初期頃には中流域に草刈堰というものが作られますが、古来から川が大いに活用されていた市原地域では、これに類似した施設がそれ以前に存在していた可能性が高いこと。
また、この辺りから上流に遡るにつれて水流が少なく、水深も浅くなるとともに川幅が狭くなりますが、古地図や古い情報などをもとに推測すると、当時(室町中期)も恐らくその規模に変わりはなかっただろうこと。
この二点から考えると、五大力船といわず、小さな川舟であっても酒井氏東進の鍵として水運を中心に据えるのには、無理があることが分かりました。
むむむ、しかし、幸運の女神は私をそのまま放置することはなかったのです!
下記写真は酒井定隆坐像と云われています。
——————————————————————————–
千葉キャンパスでは随時学校見学・授業体験を受け付けています。
転学をご検討の皆様。気軽にご連絡ください。
一ツ葉高校千葉キャンパス
TEL: 043-305-5780 FAX: 043-305-5782
※スマホからご覧ください。
———————————————————————————–
通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパス 宮本