立川キャンパスの教室から:歴史の中の瀬戸内海
通信制 一ツ葉高校 立川キャンパスです。
いよいよ、テスト一週間前になり、生徒のみなさんも目つきが変わって勉強し始めました。
勉強しなくとも、テストに合格できると思っている生徒は、後で痛い目を見るだけです。
ここで、一つ勉強してテストに合格できるように頑張りましょう。
さて、私は受験・レポートの日本史を担当しているのですが、
その授業中、特に近代以前の内容で多々瀬戸内海の
位置的重要性を強調しているのですが、
私はその瀬戸内海を見たことがありません。
他の先生の昔のブログには、
瀬戸内海しか見たことがなかったとありますが、
「海に沢山の島があること」が当たり前に感じているらしいです。
私には、逆にその感覚がわかりません。
私は新潟県出身なので、日本海は見慣れています。
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夏の晴れた日など新潟から佐渡島が見えたりしますが、
基本的には地平線です。
(さすがに大陸は見えません(笑))
ともあれ、ぜひ一度瀬戸内海は見てみたいものです。
瀬戸内海は日本の歴史にとって重要な所になります。
では、どのように意味で瀬戸内海が重要だったのでしょうか?
①海上交通の要所として
②漁業の盛んな地域として
③観光地として
瀬戸内海の重要性は、①が重要です。
よくあることですが、
現在の感覚で歴史を考えてしまうと、
見当違いな理解をしてしまいます。
少し考えていましょう。
昔、車はありません。
道はコンクリートで舗装されているわけではないです。
その様な中おもな交通手段は、何だったでしょう??
①陸上交通――馬車とかに積んで運ぶ
②海上交通――船で運ぶ
これは、明らかにに②の海上交通ですよね。
そもそも、日本は平野が少なく、
陸上交通には向いていません。
やはり、多くの荷物そして人を運ぶには、
陸上交通は向いていません。
そうなると、瀬戸内海が重要になってくるわけです。
なぜか?
①中国・朝鮮半島との入口である
博多(太宰府)から京都までの海だった。
②瀬戸内海が内湾で波が高くなりづらいからです。
海上交通の最大の問題は波です。
この波が高くないところが、
瀬戸内海の最大の利点であって、
博多(太宰府)から京都までを結ぶ
重要な交通路だったわけです。
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たとえば、鳥羽上皇は平忠盛(平清盛の父)が
瀬戸内海の海賊を討伐したことを大変喜びました。
それが、平氏一族繁栄の礎となったわけです。
他にも、薩摩藩(現鹿児島県)は、
参勤交代で江戸(現東京)に上る時、
鹿児島から大阪まで瀬戸内海を経由して船で行き、
そのあとは東海道を歩いて行ったのです。
瀬戸内海を使えば、
大阪までは容易にいけるってことですね。
では、なぜ大阪から江戸までは
船で行かなかったのでしょうか?
それは、大阪~江戸間の海が外洋で
波が高くなるリスクがあり、
航路としてはリスキーだったのでしょう。
このように、瀬戸内海は歴史的に重要な所なのです。
ぜひ一回行ってみたいところですね。
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