小倉キャンパス ブログ

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  1. 挨拶の原点について

    通信制 一ツ葉高校 小倉キャンパスの早尻です。

     私が高校生の頃、といえばもう40年ほど前のことですが、教科書に「その昔、あいさつという行為について、深く考えた哲学者がいました・・・」という書き出しの文章がありました。出典は不明ですが、なぜか内容については記憶していますので、今日はそのお話をしたいと思います。

     近代国家の誕生以前、当然、警察のような市民の治安を守るための組織も確立していない時代に、旅行をするということは文字通り、命がけの行動でした。見知らぬ人(初対面の人)に遭遇した時、どのような第一声を放つかということは、当時の人々にとって極めて重要であったと思われます。もちろん、声を掛けずに通り過ぎる(無視する)という選択肢もあるのですが、はたしてそれがベストな選択かどうか。つまり、相手から襲われる危険性があったのです。財布をとられるだけならまだしも、命を奪われる危険性がありました。そういった局面で、いかに相手に好印象を与えるか、悪感情を持たれないようにするかということは、被害に会わないために絶対に必要なことだったのです。現在のように、「警察を呼ぶわよ。」と言って110番すれば、すぐに警察官が来てくれるような時代ではありません。当時は、方言の違いから同国内であっても今より言葉が通じにくかったと思いますが、ここで最も重要なのは言葉の内容ではありません。全身全霊で(笑顔で)「あなたの存在に気付いていますが、当方に敵意はありませんよ。」ということをアピールすることでした。「世渡り上手」という言葉は、ずる賢いとか、世間におもねるといったようなニュアンスがあって、現在ではあまり良い意味では使われませんが、当時「世渡り下手」な人(第一声を誤った人、相手からどう思われるかということに無関心だった人)で、不本意に命を落とした人は少なくありません。あいさつは、我が身を守るための必須アイテムだったのです。

     生徒の皆さんは、ご両親や学校の先生から礼儀やあいさつについて指摘されると「ウザイな」と思うかもしれません。しかし、あいさつの原点は我が身を守るため(殺されないため)であったということを改めてお伝えしておきたいと思います。

     写真は、元気いっぱいあいさつをして帰っていく生徒たちです。

    通信制 一ツ葉高校 小倉キャンパス 早尻

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