千葉キャンパス ブログ

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  1. 「その時歴史は動いたのかも…滅亡への猪突猛進(後篇)」

    通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパスの宮本です。

    そう、その時かもシリーズをご覧頂いている皆さんなら、
    もう大方の予測がついているかもしれませんね。

    家臣や民を思いやることを軽視した勝頼が、どのような道を辿ったのか。

    どかっと端折って1575年、三河国長篠は設楽が原において、
    戦国最強と謳われた武田騎馬軍団は織田・徳川連合軍の鉄砲部隊により、
    壊滅的打撃を受けるに至りました。

    その後織田信長は嫡子・信忠を総大将に武田家討伐を命じ、
    武田家は徐々に勢力を削られていくことになります。

    そんな中、織田・徳川軍の甲斐侵攻を予知した勝頼は、
    防備が手薄な躑躅ヶ崎館からより強力な拠点として新府城の築城を始めてしまうのです・・・

    苦戦に次ぐ苦戦で青色吐息のところに来て、
    新府城築城のための多額の金品と大量の人員の拠出を迫られた諸将は、
    ここで一気に離心していきます。

    そもそも、少し前に起きた駿河(今の静岡県)高天神城の戦いで、
    国力・軍事力の疲弊から救援を送れず見殺しにしてしまった勝頼に、
    そして拡大路線の破綻により衰えゆく武田家に、求心力は尽きかけていたのです。

    こうして櫛の歯が抜けるようにして武田家々臣団は崩壊し、
    やがて迎えた武田家滅亡の時、
    最後の最後に岩殿城主・小山田信茂の裏切りに遭った勝頼一行は、
    再起をかけた望みも空しく天目山中にて自刃することとなってしまいました。

    勝頼を猪突猛進に追い立てた要因の数々とクライマックスは、いつかまたお話しするとして・・・。

    心ならずも拡大路線に突き走り、やがては忠心や民心を失い、
    悲惨な裏切りでとどめを刺された勝頼のようにならないように、
    広い視野と柔軟な心を保ち続けて、
    たくさんの笑顔に囲まれた素晴らしい時間を過ごしてもらいたいと願う、今日この頃です。

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    通信制 一ツ葉高校 千葉キャンパス 宮本

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