小倉キャンパス ブログ

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  1. ウソについて

    通信制 一ツ葉高校 小倉キャンパス 早尻です。

    皆さん、こんにちは。今日は、「人は、なぜ、ウソをつくのか。」ということについて考えてみました。ウソとは、事実ではない言葉、人を騙すために言う事実とは異なる言葉のことですが、まず、ウソには意識的なウソと無意識のウソがあります。大人は多くの場合、意識的にウソをつきますが、時には思い込みや潜在的願望、現実と空想の混同、誘導尋問の結果などの理由で脳が無意識に作用しウソをつくことがあります。又、ウソには悪意のウソと善意のウソがあり、明らかに人を陥れるための悪意に満ちたウソは違法性があれば、当然、刑事罰の対象となります。そこまで悪質でないとしても、自己弁護や責任転嫁のための小さなウソは、多くの人が日常的についている可能性があります。人を喜ばすため、あるいは悲しませないための善意のウソもあり、英語では、このようなウソを「White Lie」(白い嘘)と呼びます。同様に日本には「ウソも方便」という言葉があり、社会生活を円滑にするために多少のウソは必要だという考え方があります。

    人はウソをつく動物であり、誰でも日に200回はウソをつくと主張している心理学の先生がいます。大半の人は「そんなはずはない。」「自分は違う。」と反論するかもしれませんが、自分で思っているよりも多くのウソをついていることは確かなようです。大多数の人は、小さなウソは無意識的、日常的に行なっており、これは、「正常」の範囲内とされています。(学問的にはモラルの問題は脇において、統計的に数が多ければ、正常と分類される。)しかし、一般的な範囲を逸脱してくると「虚言壁」「作話症」などと呼ばれます。

    ここで、具体的な事例について考えてみます。昔は、余命数ヶ月といった末期のガン患者さんに対して、心配させないために本当の病名を隠し通すことが多かったそうですが、最近では、ご本人の生きる権利(余命を充実して生きる権利)を尊重して、重大な病名についても告知するべきという考え方が主流となっています。

    悪意のウソが容認されないのは、世界共通の価値観ですが、善意のウソの許容範囲は時代や地域によって大きく異なり、多分に文化的な側面を持っているようです。

    通信制 一ツ葉高校 小倉キャンパス 早尻

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