歴史を学ぶ意味
通信制 一つ葉高校 小倉キャンパスの松本です。
こんにちは。今日はあいにくの雨とゴールデンウィークの合間ではありますが、週1コースの生徒の登校日です。朝早くから、たくさんの生徒が小倉キャンパスで、勉強やおしゃべりをしながら過ごしています。
今週から、世界史の授業を担当しています。
みなさんは「歴史」の授業は好きでしたか?特に世界史は「なんかカタカナ覚えられん」とか、「そんな人・地名知らない」とか、「日本史すらよくわからんのに世界史までムリ」なんてことをよく聞きます。「歴史ってなんで勉強するの?」って哲学的な質問まででてきますね。
僕も高校生時代(15年くらい前ですが…)はそんな人の1人でした。「歴史=覚える」「知識=得点」みたいな雰囲気がとても「苦手」だったように思います。
でも、歴史を学ぶことは「好き」でした。なんか少しおかしいですが…。歴史の本や小説を読んだり、博物館やお城に出かけてみたり…。いろんな「人」と「人」のつながりを見つけたり、「そのときどうしたんだろう?」とか「どんな気持ちだったんだろう?」と想像したりするのが、とても楽しかったと記憶しています。
「歴史ってなんで勉強するの?」という直接の答えにはなりませんが、僕が歴史の授業をする際に意識していることを今日は書きます。
それはいろんな「選択」の結果歴史は刻まれたということです。
生きているなかで「選択」する場面、実は結構多いことを知っていますか?「いつ起きようかな?」「朝ごはん食べようかな?」「学校行こうかな」…登校するまでにたくさんありますね。学校についてからも、「あいさつしようかな?」「小テストうけようかな?」「どの席に座ろうかな?」…。これが寝るまで続きます。
そんな時に参考になるのが、「過去の経験」です。「歴史」は過去の「選択(経験)」の塊です。「過去」の様々な状況や関係の中で生まれた「経験」を、「今」の自分に置き換えていろんな選択の「参考」にしてみてはどうでしょうか?
どうやって使うかは、一つ葉高校の「ソーシャル・スキル」の授業で勉強することができますよ。「歴史」と「ソーシャル・スキル」をうまくリンクして、より豊かな経験や人間関係をつくっていってほしいと思います。
写真はお昼休みの1シーン。「誰とごはんを食べるか?」「どんな話をするか?」というのも1つの選択ですね。
通信制 一つ葉高校 小倉キャンパス 松本